好きと才能

最近、「趣味で○○をやってるんだけど自分には才能がない」っていうツイートなり悩みを良く目にします。

そうすると、ふと「才能って一体何なんだろう」と考えてしまいます。

第三者から見ると『なんでかよく分からないけどその分野ですごいことが出来る人』のことを才能があると言ったりしますよね。

ただどうなんでしょう。
「すごいことが出来ない人には才能がないのか?」というと、それは卑屈すぎると思うんです。

ここでちょっと私の高校時代の話をしてみましょう。
私の通っていた高校はいわゆる進学校で、生徒数が1学年400名強、そしてその中から毎年東大に20名前後合格する…まあそこそこ実績のある学校でした。そしてこういう学校になると「○○大学以下は大学じゃない」みたいな風潮があるものでして、当時私は普通科の勉強に興味がなく成績も下のほうだったので、その「大学じゃない大学」に進んだこともあり、最後まで肩身の狭い思いをしました。

ただ、そんな中でも見えたことがあります。それは成績上位者、つまり東大を始め難関大に合格するような人の性質です。

彼らは実のところ、そんなに特別な人間ではありません。
でも本当に勉強が好きで、勉強することに楽しみを感じて、勉強を日常生活の一部としてごくごく自然に行える人たちなんです。
それが学校というシステムとうまくマッチして、「才能がある」と認められていたわけです。

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このことから、私は「それが好きだ」「それをやっていると楽しい」と思えている時点で、もうその人には才能があるんじゃないかなと考えています。日頃、努力できるのも才能だとか言っているのにはこうした背景があったりします。

だから簡単に「才能がない」と決めつけるのは早計だと思うのです。今それをやっていて楽しめているなら、少なくとも才能はある。じゃあ何が足りなくてうまくいかないのかというと、努力の方向性だったり、人相手のことならリサーチやマーケティングのやり方だったりするわけです。
それらは考え方次第でどうとでもなります。その考え方は先人の知恵、すなわち本を読むことで身につけられます。

まあ趣味でやっているとそれらに割く時間の問題もあるのでなかなか難しいんですけれどね。また時の運というものもあります。でも運が来るまえに諦めたら、そこで可能性も潰えますよね。

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-この手の話は信じるのが難しいと思います。なぜなら実績のある人が言うと「それはお前が優秀だからだろう」となるし、実績のない私みたいなのが言うと「大したことのないやつが大口叩くな」となるからですね。
なので、信じられたら信じてみてください。諦めるくらいだったら、こういう捉え方もありなんじゃないのということで。

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